全国草原再生ネットワークの活動とロードマップ|第73回 日本生態学会大会

京都で開催された 第73回 日本生態学会大会のシンポジウム「The Old-Growth Values of Semi-Natural Ecosystems: Insights from Human-Managed Grasslands of Japan and Beyond」で、発表させていただきました。

日本の草原は、多様な動植物を育むかけがえのない環境です。しかし、高度経済成長期以降、ライフスタイルの変化によって人の手が入らなくなり、過去100年間で激減しました。今、国内に残されている各地の草原も、過疎・高齢化により急速に失われつつあります。

このような現状において、複数の観点から草原の価値を探り、社会の現状と合わせて考えるシンポジウムでした。

講演内容:全国草原再生ネットワークの活動とロードマップ

生態学の分野では、これまで多くの研究者によって「草原の生態学的な価値」と「それが直面している危機」が明らかにされてきました。次は、どうやってその草原を保全するのかを、具体的に考える番です。それはつまり、「科学的知見と社会の間に、どうやって橋を架けるのか」という問いに他なりません。優れた科学的データはすでにあります。それを社会に実装し、具体的な保全アクションに結びつけることが求められています。

ギャップを埋める、3つの視点

シンポジウムでは、草原を未来へとつなぐために、このギャップに橋を架ける方向性を3つの視点から提案・共有しました。

1.文化的極相 Cultural Climax

生態学では、人の手が入ることで維持されている草原を「半自然草原(Semi-natural Grassland)」と呼びます。また、一元的な遷移から外れて複数の極相がある考え方に基づき、「Semi-climax Vegetation(半極相)」とも定義されます。

一方で、この「半」「semi-」という言葉は、一般社会において「完全ではないもの」「本物のダウングレード版」という印象を持たれかねません。もちろん、「半自然」や「Semi-climax」という言葉は科学的には正しい表現ですが、草原が持つ価値を社会に正しく伝えるためには、その価値を100%表現できる「新しい言葉」が必要です。

そこで「文化的極相(Cultural Climax)」という言葉を提案しました。「文化的極相」という概念は、草原だけでなく、他の里地里山の植生にも当てはめられます。「里山林」や「ため池」もまた、文化的極相です。

遷移と環境的による極相、文化的極相極相、二次林の模式図

また、「文化的景観」という言葉は、すでに文化財保護法などで用いられています。だからこそ、生態学の枠組みでも同じように「文化的(Cultural)」を冠し、「文化的植生」や「文化的極相」と呼ぶことで、行政や一般社会はすんなりとその価値を理解し、受け入れてくれると期待できます。

一方で、自然環境によって維持されている「火山地帯」や「高層湿原」などは、手つかずの自然が到達した「環境的極相(Environmental Climax)」と呼ぶことができます。人の関わりによって維持される「文化的極相」も、厳しい環境によって維持される「環境的極相」も、どちらも極相(Climax)という到達点であり、そこに優劣はありません。

文化的自然(文化的極相にある植生)と環境的自然(環境的極相にある植生)

2.プッシュ型支援

草原という「文化的極相」を維持するためには、放牧、草刈り、そして火入れといった文化活動を絶やさず継続しなければなりません。同時に、シカの食害や土地改変といった脅威からも保護する必要があります。

草原を保全するために必要な要素

現在、ネイチャーポジティブの潮流の中で、TNFDや30by30といった社会的な追い風が吹いています。企業の参画、公的な認証制度、学会での議論など、生態学の知見を経済と結びつけようとする動きは活発です。しかし一方で、全国の多くの地域において、地域社会は我々の想像を絶するスピードで縮小し、高齢化しているのが実態です。現実に、担い手不足から山焼きを停止する地域も現われています。ここに、社会の潮流と地域の実情との間に、深いギャップが生じています。

現状の仕組みの多くは、地域からの「申請」を待つ受け身の構造になっています。しかし、生物多様性のモニタリングや、外部からの申請を受けるための手続きを行なう人材が、地域にはいません。地域にはもはや社会に助けを求める余力すら残されていないのです。

だからこそ、外部から地域へと橋を架けなければなりません。地域からの申請を待つのではなく、社会の側から支援を届ける「プッシュ型支援」を確立しなければ、資金は「まだ申請する余力が残っている一部の地域」にしか届かず、十分に活かされません。

プッシュ型支援を実現するためには、文化的活動(火入れ、採草、放牧)の「正確なコストと価値」を社会に示す必要があります。例えばシカ対策であれば、草原の周長を測り、柵の設置費用を算出してデータを公開します。火入れであれば、必要な人工(作業員数)を算定し、標準単価で費用を割り出して公開します。「ここを守るためには、これだけの具体的なコストがかかる」という明確なデータと、それによる生物多様性の保全効果を示すことで初めて、企業や社会からのプッシュ型の支援を直接呼び込むことが可能になります。

コスト算出の例

3.ロードマップ|トリアージとインキュベーション

全国草原再生ネットワークでは、約260の草原リストと、生態面・社会面の両方で詳細な情報を持つ「未来に残したい草原の里100選」などの草原データベースを有しています。このデータベースを活用し、草原のトリアージ(Triage)を行います。

大規模災害時の医療現場で使われるトリアージの目的は「最大多数の人に最善のケアを提供すること」です。限られた医療資源を有効に使うため、先着順ではなく「重症度」によって優先順位をつけます。そして、患者の容態は刻々と変わるため、一度きりではなく常に評価を繰り返します。

これに倣うと、草原トリアージの目的は「最大多数の地域に最善の支援を提供すること」と設定できます。草原からの支援申請を待つのではなく、草原ネットが整備する草原データベースから危機レベル(重症度)を判断し、優先度の高い地域へ社会からのプッシュ型支援を的確に届けるチャネルをつくります。草原データベースに基づく積算コストを集計することにより、優先レベルごとの総額と、国内の草原全体で必要とされている支援総額が明確に示されることも、トリアージの効果です。

草原データベースに基づく「草原のトリアージ」

トリアージは、地域自身にも大きな効果をもたらすことが期待できます。地域の人々が自らの危機レベルを客観的にセルフチェックし、同じ段階にある他地域と情報交換をしたり、お手本となる健全な地域をロールモデルとして設定したりすることができます。自分たちが進むべき最終的なゴールと、直近の目標、つまり将来への道筋がはっきりと見えるようになります。

草原データベースは、単なる草原のリストではありません。草原という「場所」だけでなく、草原を取り巻く社会、草原に関わる「個人の人々」と「団体」も、草原に紐付けて整理されます。データベースを整理し、ネットワークを促進して地域を繋ぎます。そしてインキュベーション(情報提供、人材交流、マニュアル作成)を行い、地域の活動を支援します。さらに極めて重要なこととして、新たな変化に合わせて、このデータベースを毎年アップデートしていきます。

全国草原再生ネットワークは今後、草原と地域の変化を記録しながら、「記録⇒トリアージ⇒インキュベーション」というサイクルを回し続けることに取り組みます。

全国草原再生ネットワークの事業ロードマップイメージ

現場のホームドクター

全国草原再生ネットワークが持っている草原のデータは、各地の研究者や活動グループの協力によって更新されています。しかし、約260件ある草原の中には、データの提供をしていただける人や団体が不在の草原もあります。こうしたネットワークの課題も、今後改善していく必要があります。

目標は、ひとつの草原に対し、少なくとも一人の「ホームドクター」が存在する状態を構築することです。ホームドクターに求められるのは、高度な知識や詳細な現地調査の実施ではありません。草原の様子や地域の様子を緩やかに見つめながら、変化の予兆が見られた時に、全国的なネットワークに共有することです。

近くの草原を気に掛けてくれるという人は、どうか、私たちの仲間になってください。先人たちから引き継いだ文化的自然を、未来につなぐために。


本シンポジウムでは、全国草原再生ネットワークの理事でもあった田中健太さん(筑波大)と、丑丸敦史さん(神戸大)が中心となって進めてきたプロジェクトの成果、そして世界的に見た「Old-growth Grassland」の価値と現状が示されました。本来であれば、シンポジウムの最後は田中健太さんが総括として「社会実装」について語るはずでした。今回はその代わりに、全国草原再生ネットワークから話題提供をさせていただいた形となります。このような貴重な機会を頂いたことに深く感謝するとともに、田中健太さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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